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2004.05.27

especially to me

圭織と石川の卒業の報があってから数日。いろんなサイトでいろんな温度の文章を拝見しました。
「卒業」というシステムに対しての感情の温度差は、【「自分にとっての」幸福な原風景を壊される】と感じること、そして「その原風景はいったいどこを基準にしているのか」なのね、てなことを思っております。
私が彼女たちに向き合う(そしてはまりこむ)きっかけとなったのは「なっちの卒業の報」でしたし、そういう意味では全く原風景を持ち合わせていないから、こんなに醒めたことを思うのかもしれません。だからといってこのシステムを肯定はできませんし、出来ることなら「聞かずに居させてくれ」と思うことでもあります。
(原風景と呼ぶことを許してもらえるなら、わたしにとってのそれは「Do it! now」のPVです。5月のコンサートでは基本的に「なっちの不在」は感じませんでしたが、唯一その痛みを覚えたのは「本来のセンター2人(安倍・後藤)」の居ない「Do it! now」及び「1.25で「ザ☆ピ~ス!」を歌うなっちの映像」を見た時でした。)

今回の一件で思い出したのが、劇団☆新感線の「野獣郎見参!」の再演の時の感情。
演出でも、キャストの技能でも、各種技術・道具への手間とお金の掛け(られ=可能の意としての)具合でも再演の方が進化していたんでしょうが。私の中にある「特別な一瞬」はあくまで初演時のそれで。科白や衣装の基調が「同じ」なだけに、目の前に在る「今」が「自分の中の幸福な原風景と違う」事に対して、理屈よりなにより受け止めること自体を拒絶していました。
「初演の方がよかった」「昔見た○○の方がよかった」、所謂団菊爺の謂いをすることが(それを大声であたりはばからず叫ぶことが)みっともよいとは思えませんが。まず最初に出てきた感情が「それ」だったことを、ぼんやり思い出しました。

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