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2005.10.10

壷中天

優先順位としてはどうしても「今その場所でしか見られないもの」であるライブやお芝居、もしくは「常に身の側にあるもの」である活字が先立つのですが。どうにも気持ちがくしゃくしゃしてしまう時にがらり、とアタマを変えてもらうために、美術館・博物館へと足を運ぶ機会も少しずつ増えてきました。平日はまず無理ですが、金曜だけは閉館時間をゆったり目にとってくれているところもあるのがうれしいところ。それでも時間はぎりぎりですが、定時で飛び出してピンポイントでアンテナにひっかかるものをわしわし、っと見るようにしております。

先日久々に足を運んだのが、東京国立博物館で開催中の特別展「華麗なる伊万里、雅の京焼」。異国情緒のある焼き物、との印象があった伊万里ですが、その歴史を一度きちんと見てみたいとおもったのがひとつ。あと、建物それ自体が重要文化財である表慶館に入ったことがなかったのがひとつ。このふたつに背中を押されて、足を運んだ次第です。

全く詳しくはありませんが、伊万里といえば「白地に赤の線で文様を示した、非常に華やかかつ特徴的な焼き物」の印象がありましたが。初期の頃は、全く違う色味-青磁のそれを思わせるものだったり、また、大変濃い碧をあしらったものがあったりと、全く想像していなかった世界がそこにありました。

戯言であり、牽強付会もいいところだと苦笑しつつも。その「流れと今に至る様」に、わたしはモーニング娘。およびハロー!プロジェクトのそれ、を重ねて見ておりました。現在「伊万里」と呼ばれる器のイメージが固まったころをどの辺りに置くかはひとそれぞれでしょうが。そこに至るまでは決して「ひとつの色の流れ」だけではなく、さまざまな色彩がそこに確としてあったこと、に。改めて胸を打たれておりました。

タイトルは、京焼のコーナーで配されていた仁清の壷を見た瞬間に降り注いだ言葉です。「色絵月梅図茶壺」(先程の特別展紹介ページの下部に画像があります)の解説に、「一つの壷に梅と、満月の光が同時に配されている。満開の梅を見ると月の光が、満月の光を追うと月が追えなくなる。両方を一度に見たいなら…壷の中に入るしかない」との意の言葉が記されていました。壷の中に飛び込んで、別世界にしばしたゆたわせてもらう。…彼女たちのパフォーマンス(歌やダンスだけでなく、ガッタスの活動やその他もろもろの「全て」に対して)が、わたしにとっての「壷中」であり、そこから眺める「天」なんだなあ、と。そう感じております。

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