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2005.12.10

彼の方(かれのほう)、と書いて彼方(かなた)と読むのよ

野田地図第十一回公演「贋作・罪と罰」
@シアターコクーン 12/9(金) 19:05-21:00

初演とはがらりとキャストを変えての再演、初日が開けて間もない頃の公演を見てきました。この日でこれだけの完成度なら、大楽の大阪はさぞや凄まじい切れ味を見せるんだろうなあ、と思わせてくださる出来です。

演出はここ数年の野田さん「らしさ」がより極まっていっています。極力大がかりな道具は排除し、身近なものや役者のカラダでそこに世界を組み立ててゆく。今回は本来舞台側であるところにも座席を設置し、出来うる限りの(劇場の構造上、完全に、とはいかないのですが)四方囲みに変更。一段高い舞台の世界に立つ役者を、ひとつ下がったところで出番でない役者が支え、それを観客はもう一段高い視点で見つめ続ける。通常の舞台-額縁舞台と呼ばれるモノが、客席側から舞台を一方通行で見つめる平面とすれば、今回のそれは箱庭を眺める神の視点。

理想の遂行のためにはどのような非常手段も(時によっては)許される、とする英(松たか子)。ある一定のルールの下に現実は動くべきであるし、そのルールを遵守する象徴としての都(段田安則)。その二者の-あまり適切ではないですが-落としどころをなんとか探ろうとする、そして理想に「のみ」突き進もうとする英を軟着陸させる場であろうとする才谷(古田新太)。この三者の内、二者が舞台に居る時に必ず一者は舞台下で静かに視線を保っている。その在り方をひとごとのように眺めている、と気づいた(気づかされた)時に、「で、普段のお前さんはどうなんだい?」と問われたような気がして……どきりとしました。

初演の記憶が(見ているはずなのに)まだらになっているから、かもしれませんが。ラストシーンへの伏線の道具を、今回は最初から使ってますかね?そして、ラストシーンの「景色」。初演はそれらしく道具を使って見せていたのを、今回は役者の佇まいと、えっと思うモノを使って表してましたね。あれには唸らされました。

また、英と才谷の関係性は、初演のそれよりもっとすっきり見えた気がします。初演の2人が「天に翔けてゆく英と、地に根を下ろす才谷」の関係性だとすれば、今回は「共に天に翔てゆける才は持つけれども、才谷という錨があるから-や、止まり木、かな-振り返ることが出来た」との印象を持ちました。突出する理想に殉じる英と、結局それを止めきれずに命を落とすことになった才谷、が初演だとすれば、突出する理想に殉じようと翔ける英手を握り、地に落ち着けさせた(意とは別に命を落とすことになったけれども)才谷、が再演の二人。そう、感じております。

理想に殉じることの持つ危うさ。
この関係性の差は、初演から10年が経った、ということ。そして、その10年に起こった諸々のことにあるのか、と。浅はかで穿った物見と承知の上で、思う部分が強いです。

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