2005.06.28

わたしの「必要不可欠」-Reading Baton

ハロプロの2003年シャッフルのテーマは確か「人に欠かせないもの」としての塩・空気・水でしたっけ。その段で行くと、「読書(文字)」と「ナマもの(芝居/ライブ/コンサートetc)」を併せた5つが、わたしには必要不可欠なものとなっております。

てことで、遅くなってしまいましたが。「Chillin' Days」のチルさんより6/19付けの日記でいただきました「Reading Baton」、回答させていただきたいと思います。

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■お気に入りのテキストサイト(ブログ)
アンテナに入れさせていただいているところは勿論全て「お気に入り」なんですが。そちらは基本的にハロプロ系。今回は「芝居といえばこの方」なサイトから。

演劇◎定点カメラ」(まねきねこさん)

わたしのネット生活の始まりは、Nifty-Serve内の「演劇フォーラム」の会議室にありました。その当時からまねきねこさんは、ご覧戴く本数、揺らがない視点、軽妙かつシンプルな語り口と抜きん出た文章力で、ずっと注目されていらした方でした。

個人で蓄積されているものとしては、かなり緻密な公演データベースにもなりうるこのサイト。見逃した芝居に「しまったー!」と叫んだり、「あ、こんな演目がこれからあるのね。忘れないようにチケット取らなきゃ」とのリマインダとさせていただいたり。私の、芝居モードにおける「私的ポータルサイト」のひとつとなっております。

■今読んでいる本
通勤鞄に入れているのは大森望『現代SF 1500冊 乱闘編 1975~1995 』(太田出版)。寝る前本なのはその時々ですが…昨夜は嵐山光三郎『文人悪食』(新潮文庫)。

SF読み、というほどSFは読めてないのですが。大森さんの『本へいざなうことばの力』は好きなので、図書館で出会った時に『ご縁だ!』とさくっと借りてきました。対象への愛情は勿論のこと、門外漢やジャンル違いで敬遠する身を『面白そうかも』との思いへいざなう言葉の力に、『本の雑誌』で惚れ込んで今に至ります。(←リンク先は「WEB本の雑誌」となっております)

文人悪食』も、同じく『本の雑誌』の書評で手に取ったような記憶が。既にものがたりが身体にしまわれているものを、のんびり眺めながら眠りに落ちるのが好きなので、大抵寝る前本は既読本を選んでいます。著名な文人の『食に対する距離』を並べたこの一品、食の視点からも、文学史の視点からも(学生時代はへろりと授業で撫でた程度でしたが)面白い切り口になっております。

■最後に買った本
記憶にあるうちで直近なのは『ヒトのオスは飼わないの?』(米原万里・文春文庫)ですが。鞄に本がないとガマンできない性分なんで、突発買いしたものもままあるかも。米原さんの文章は良質のウェルメイド・コメディを鑑賞している気持ちにさせていただけるので、文庫落ちしたら必ず買うようにしています。ごめんなさい、ハードカバーは流石にざくざくとは買えませんので(^^;。

■好きな作家
即答するのは赤江瀑・池波正太郎・恩田陸・高村薫・鷺沢萠。そのほかにも「好き!」という方はたくさんいらっしゃいますが(割と作家に惚れてその作品を一気読みするタイプ)、そらでぱっと浮かぶのはこの方々。基本的に日本の小説・エッセイが好きです。

■よく読むまたは、思い入れのある本
O.S.カード『エンダーのゲーム』(ハヤカワ文庫)
高村薫『神の火(上巻)/(下巻)』(新潮文庫)

遠征や帰省や旅行などで長時間うちを離れる時、あるいは泊りがけでどこかに出かける時は、たいていこの3冊のうちの1つが入っています。十二分にものがたりはからだにしまわれている。その安心感が、見知らぬ土地での不安感を和らげてくれる…そんな思いがあるから、でしょうか。でも、結局「別の、まっさらなものがたり」に浸りたくて、旅先で新しく本を増やすオチがついてきますけどね(^^;。

■この本は手放せません!
本、というよりは…芝居の公演パンフレット、ですかね。チラシや半券はクリアファイルにファイリングしていますが、パンフレットは版型がまちまちなので保管しづらいことこの上なし!引越や大掃除で涙を呑んで処分したものもちょいちょいあるのですが、劇団☆新感線のパンフレット-中でも「魔性の剣-Susanoh 3-」や、「野獣郎見参!」(初演版)、「阿修羅城の瞳」(新橋演舞場初演版/芝居としては再演にあたるもの)については、絶対手放せないなあ、と思っております。

■次にバトンを渡すヒト3名
うーんうーんうーん。
あの方の本棚を見てみたい、との思いもあるのですが。既に回っていらしたり、そもそもワタシのところで長く塩漬けにしてしまっていたので、そっと軒先につるして乾かしておきます。もしご希望の方がいらっしゃいましたら、そのままお持ちいただければ幸いです。

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2005.04.13

忘れられなかった者の、勝ちだよ

これは昨年別の場所で(私の運営する掲示板で)書いた文章に手を加えたものです。もしどこかでご覧になられた方がいらっしゃいましたら、二度読みとなること、お許し下さい。

ネット上の日記から作品へとの存じ上げ方のためでしょうか。こちらのみが全く一方通行的に存じ上げているだけの方でしたが。限りなく肉声に近い(と思わせてくれる)ことばの巧みな積み重ねに、ずっと親しみを抱いておりました。その方と、永遠に言葉を交わす機会がなくなってから、4月11日で丸一年の月日が経ちました。

私事になりますが。一昨年の似た時期に、母方の祖母を亡くしました。自分で言うのもなんですが、孫の中では一番の「おばあちゃん子」だったのに。最後の10年はほとんど顔も見せず、最期と知らされた時にはもう言葉を交わすことは出来ませんでした。ぎりぎり、「わたしだ」ということは分かってもらえた、と思うのですが。その時の後悔と、別離に対しての悲しみは、未だに色濃くあります。最後の10年を関わっていないから、ただ泣くことが出来るのかもしれないのですが(そもそも「泣く資格があるのか」との自責の念もまたあります)。ワガママと言われようと勝手と言われようと、どうしようもなく「辛い」のが、私の現実です。

時薬のおかげで、ただ泣きくれて過ごすことはなくなりつつあります。ただ、それでも。手のうちに残ったぬくもりとか、ずっと身体の底にある声とか。それらがもう「2度とない」痛みを知ってしまってからは、より強く、そのことが胸を打ちます。

タイトルの言葉は、短編集『愛してる』所収の「Two of Us」の一節からいただきました。好きな歌のタイトルを冠した小説だったと、知ったのは随分後になってからでした。以下、その箇所を引用させていただきます。
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 口をついて外に出て来ることばなんて、実際に考えたり思ったりしていることの何万分の一にしか過ぎない。頭の中にあることを面積にたとえれば、ことばになって出て来るものは小さな小さな点だ。
 それを思えば、人の言っていることなんて実は全然信用に値することではなくて、みんな「状況だけ見てキレイごとを言っている」のだとも言える。
 思ったり感じたりした者の勝ちだ。
 だから、「忘れられなかった」者の勝ちだ。

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鷺沢萠さん。あなたのことは。そして、あなたが残された大事な「ことば」と「ものがたり」のことは。決して忘れません。

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2005.03.26

ありがとう、のーじさん

年度末の忙しさ(おかげでストレス性のアレルギー症状が百花繚乱。ついでに熱まで出てくれましたわ)+帰り道の本屋の品揃え事情から「こりゃ無理だ」と、とっととbk1の当日配送にお願いした「モーニング娘。×つんく♂ 2」。先程ざっと目を通しました。

能地さんのいつくしみ溢れる視線と、彼女たちとの信頼関係が導き出す言葉が、すごくいとおしかったです。いやー、渇ききった時に飲む甘露ってこういう味なんでしょうね。現在の(圭織が卒業した後の)11人娘。のみならず、卒業組で現在もハロプロで活躍する「かつての娘。たち」にもきちんと項を咲いてくれているのが、これまた嬉しい限り。

「はじめにことばありき」といいましょうか。言葉に触れることを好む-音楽でもメロディやリズムよりまず"歌詞"に耳が行ってしまう性分なんで、ビジュアルよりもなによりもこうした「ことば」が、いちばん好きなんですよね。てことで、娘。さん好きなら、そしてハロプロ好きならとにかく買え!写真集よりなによりまず買え!と叫びたい気分でございます。

んで。手にとって、まずぱらりとめくれたのががよっすいーの項。ふむむ、これまた"呼ばれ"てんのかなあ、と読み進めたら…最初からもう号泣。以下、非常に傲慢な物言いとなりますが、

 ○昨年の8月に書いたこと(こちら)と、先日のフットサルの試合の後に書いたこと(こちら)と、先日名古屋で見た光景(だー。まだ書けてません)が、きれいに一本の線でつながった、との嬉しさ

 ○彼女たちを見て、感じていたことは(正解なんてモノもないし、これもまた「見えているもののうちの一面のカケラ」でしかないと分かっている上で)そんなにズレてはいなかったのかな、との安堵感

この2つを感じさせていただきました。

また、好きである気持ちと、それをどんなに拙くともかたちにしようとあがくこと。この2つが、私がこのblogでモノを書き散らし続ける原動力なのですが。そのことを改めて教わったなあ、との思いもあります。

ありがとう、のーじさん。そして、ありがとう、(すべての)娘。さんたち(^^)。

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2005.01.22

別の名を「火変り」

橋本治の「窯変源氏物語」全14巻、去年の暮れからちみちみ読んで、8巻をやっと昨日読み終えました。ちなみにわたし、源氏に対する知識は大和和紀の「あさきゆめみし」と川原泉の「笑う大天使」での断片知識しかございません。脱線しますが、後者はカーラ先生節が強烈に効いてて大好きです。(物語全般としても、「源氏物語」の解釈としても)

元に戻ると。谷崎訳は高校の時にかじり掛けて挫折、原文などもってのほか。せいぜい高校で習った冒頭の文章を「仕事の人間関係と一緒だねぇ。これもまた不変で普遍なんかなあ」と重ねて笑う程度だもんで、「原作がどう」とは分からずに読んでおります。

橋本節全開のこの本。「源氏ってこんなに面白いものがたりだったんか」と耽ってます。8巻の後半は「若菜」の上巻。丁度光源氏が女三宮を「正妻」として迎えることになり、それを送り出す(現状としては正妻でありつつも、形式としては正妻にはなれない)紫の上のくだりと、その後の話。自分の過去の懸想(遠くは義母である藤壷の宮に、近くは紫の上に対する)に因って女三宮の降嫁を受け入れる光源氏。そして婚姻の儀を迎えた時、現実と過去の幻想の差異を(残酷なまでに)悟らされる光源氏。実状は形式の前に破れざるを得ないこと-自分はあくまで「正妻」ではなかったこと-を突きつけられる紫の上。そのことを受け入れようとするも、光源氏の思いと自分の思いが全く違う方向に向かってしまっており、それはもう交わり得ないことが見透けてしまう-(その上、肝心の光源氏はそのことに気づいていない-状況が、冷徹なまでの理詰めで書かれています。

想い人の気持ちが自分の外にもたらされること、しかもその行動に自分が関わらざるを得ないこと(自分の元より光源氏を女三の宮の所へ送り出す)に対して、紫の上に悲しみがないわけではない。ただ、今までは(実としては)自分を「第一」として在った状況が、身分という形式の前には意味を成さぬこと。そのことについて、自分の気持ち【のみ】なら制しようもあるが、周囲の好奇の視線まではどうにもできない。その間で毅然としてありたいのに、当の光源氏は「三の宮との件はあくまで【形式】であり、実はあなたにあるのだから」との言葉を連ねる。紫の上に対する(と見せた自分に対する)言い訳でもあり、女三の宮への失意と逃げを望むが故の言い訳でもある。(稚さという点では紫の上と相似であるにもかかわらず、「自分の意志を持たない。よって示すこともできない」ことに対し、失望を感じている)自分の感情と、それを制する理知と、そのわずかなズレに入り込もうとする容赦のない他者の視線。そして、紡がれれば紡がれるほど空しさを増す想い人の言葉。

本を読む時には、基本的に文章から立ち上がる声や姿をぼんやり浮かべながら世界に浸っております。それは決して既存の誰というのではなく、ものがたりの中から生まれる「わたしの中にしか居ない」ひとです。「これに当てはめるなら誰だろう」を【意識して】やることはあっても、滅多に現実のひとを思い浮かべることはありません。

さて、ここまでが長い前置き。お叱りを受けるのを承知の上で。この若菜のくだりを読んでいた時にアタマをよぎった「紫の上」は、石川さんでした。他の人物は全く思い浮かばず、まるでそこだけピンスポットがあたったかのように、石川さんの姿「だけ」が、紫の上と重なりました。他の時期にも他の登場人物についても(少なくとも今まで読み通した分については)誰も思い浮かべなかったのに。

こじつけと言われるかもしれませんが、彼女とこの状況下の紫の上が重なったのは「意志の強さ」と思っております。(橋本版ではどのように進むかまだ分かりませんが、しばらくして紫の上は出家しますしね 2005.2.3訂正。出家の意志を持ったまま、それを許されずに死去します。)。悲しみや嫉妬といった奥底の感情に溺れるではなく。それをもたらす状況に(行動せず)悲観にしゃがみ込むではなく。静かに自分の感情と自分を取り巻く状況、そして想い人との隔たりを見つめ、次になすべきことを心に定める。そのあり方と、彼女の心の強さが、重ね絵に見えました。

元々努力のひとだとは思うのですが。彼女をここまで強くしてくれたのは、モーニング娘。という「窯」にも拠るのでしょう。「窯変」の語は、辞書ではこう解説されています:

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よう‐へん【窯変】
陶磁器の焼成中、火焔の性質その他の原因によって、素地や釉うわぐすりに変化が生じて変色し、または形のゆがみ変ること。また、その陶磁器。火変り。

[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

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2004.12.15

てはつたえる

「SAY HELLO!」の肉球スタンプ押印会@丸善丸の内店、に行ってきました。はっきり日時を認識したのも今日の今日、行けるかどうかぎりぎりまで分からない(前日寝込んで仕事休んでたもんですから)状況だったんで、「どうせダメでもオアゾと新しい本屋さんウォッチング出来るしー」てな程度の思いで帰宅中に途中下車して本屋へ飛び込みました。

既に予定開始時刻を過ぎていた上に(でもスタンプ押しは開始せず。実際は30分程度予定から押したのでは?)すごい列でしたが、きびきびした案内の元無事本と整理券も確保でき、のんびり並びながら静かに待ちます。自分の分の本はもう既にwebの先行通販で確保していたのですが、「何冊あっても困らない」(実際、早めのクリスマスプレゼントとして友達に押しつけた&親用にも用意した)本であること。また、同じ事を考えている方及び既に実行された方もいらっしゃるでしょうが…手紙と一緒に、「彼女」に差し上げたいなあ、なんてことも思ったりしているので(*)、複数買いに至っております。はい。

長く見えた列も「スタンプぺったん」なのでさくさくと進み、待ち時間も含めて30分程度で自分の番になりました。本の中では「ニコちゃん」と呼ばれていた現・ブイヨンちゃんもごきげんさんに待っていてくれて、その姿を眺められたのも嬉しかったり。「お疲れのところに申し訳ないのですが」と握手をお願いしたら、糸井さんに快く応じていただきました。ぎゅっ、と両手で包んで頂いた力に、なんだか「よしっ!」と気持ちが良い方向へ高まる感覚をいただきました(^^)。所謂「握手会」というものには一度も行った事がありませんし、こうして握手をお願いしたことも、人生の中でほんの数度しかありませんが(このほか覚えているのはPSY・S時代の松浦雅也さん)。「手は如実に気持ちを伝える」ものだなあ、と、改めて痛感しました。今後機会が得られたとしても、実行に移せる(移す)かどうか、は分かりませんけど。ハロプロでよくある「握手会」に人が集まるのもむべなるかな、と。ただ、「オトナ(に近い年齢のメンバー)対オトナ」なら良いのですが、その均衡が破れるものについては…ココロが直截に伝わりやすい分、ちょっとどうなのかな、と思うところもありますが。

ちなみにこの本、ひとことでくくるならジャック・ラッセル・テリアのわんこたちの、生まれてから巣立ちまでを収めた「写真集」となりますが。それ以上の、「無条件のいつくしみのきもち」がページから溢れる本です。人間でも動物でも「赤ん坊」の状態にあるものは、無条件に「愛される」かたちに創られている、と聞いたことがありますが…そのことをお腹の底から実感させてくれるものです。また、帯に書かれている「うまれて、ありがとう/いいことがあった日、ろくでもなかった日、なんでもない日、どのページでも開いてください。なんだかとにかくうれしくなります。そういう魔法のこめられた本なんです」(「/」は私が付けました。本当は字の大きさを変え、段落変えになっております)のコピーに、「この気持ちを、自分の親しいひとにおすそわけしたい」との心をかき立てられました。(その言葉と、タイトルを含めて「彼女」の眼に触れて欲しいな、と思ったのです)

(*)こんなことを書いてる間に実行に移せ、と言われそうですが。そもそもその手の手紙を今まで一度も書いた事がない+その事が「彼女」のココロを波立たせないか、との思いもあって、揺れております。まあ、書くとすればほんの1,2行の言葉を、もう決めてあるのですけれども。

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2004.09.13

忘れるな、敵のゲートは下だ

オーソン・スコット・カード「エンダーのゲーム」の一文です(*)。

これを「忘れるな、これが【モーニング娘。】だ」と置き換えた言葉が、昨日のハロモニを見てからずっと私の中にあります。自分たちが生み(まれ)、慈しんだものがひとつの区切りを迎えようとする時に、これまで経てきた道程の光と影をカタチにして、残そうとしている。そして、「モーニング娘。とは何か」とのバトンを、次の世代へ必死に渡そうとしている。彼女たちの物語は始まりとは全く違う方向へと向かっていますが、節目節目で、おねえさんたちはこの気持ちを(別の)言葉で、態度で、そして背中で、示している。先の記事にも書いた通り、なちまり二人ごとしかり、裕ちゃん・圭ちゃん・圭織の三人ごとしかり、今期ツアーのセットリストしかり。そしてなっちがよっすいーに向ける笑顔と、裕ちゃんが紺野さんと亀井ちゃんを優しく見守る目線に、この言葉が離れなくなった次第です。

(*)本当は「思い出せ、敵のゲートは下だ(Remenber, the enemy's gate is down)」ですが、短編版(「無伴奏ソナタ」所収)でタイトルの言い回しもあったような。今手元に本がないので、うろ覚えで申し訳なし。あんど、小説において、この言葉が放たれた光景は全く違う状況と意味(であってほしい)です。

「こどもたちの(彼らが主体とさせられる)戦争状態」をテーマにした物語、という点では、「イリヤの空、UFOの夏」や、「最終兵器彼女」、「高機動幻想ガンパレード・マーチ」とも通じるものがあります。このどれかに聞き覚えのあるかたは、是非ご一読を。

ちなみにわたしは、気持ちがじたじたと空回りするときに、この言葉をつぶやきます。いくら惑ってあがこうとも、向かうところは「ひとつ」なのだと。

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2004.07.20

さよなら、青山ブックセンター

7/16付けで青山ブックセンターが営業を停止しました。
本屋で遊ぶ楽しみを覚えたのが関西だったので、「マジメな探し物なら紀伊国屋か旭屋。同人ラインも含むマンガ系は駸々堂。ちょっと遠出を覚えて、両方がカバー出来るジュンク堂に感激」てな体でいたのですが。「こんなジャンルもあるんやけど、ま、読んでみ?」と、美術書・写真集を眺める楽しみを教えてもらったのが、青山ブックセンターでした。

メイプルソープの写真集を眺めて「いつかこの本に【呼ばれた】らいいいなあ」なんてことを思い(気にはなるけど、手元に置くには財布の事情も併せて呼ばれ方が足りません^^;)。サラ・ムーンの写真集に「陽光」の装丁と、サラ・ムーンを教えてくれた旧友のことを思い。時間が許せば、お向かいの新星堂で新譜を眺めたりぴんときたものを試聴したり。そんなふうに、仕事帰りにアタマを切り替えて帰りたい時に大変お世話になった場所でした。

普段自分が読む/あるいは棚を眺めているジャンルについては「ちょっと物足りないな」なんて生意気のひとつふたつもこぼすこともありましたが。想定していない切り口で面出しされてる本に「うおー、おもしろそー!」と手が伸びたり。上記で上げた本屋さんじゃちょいと手に入りにくかった(最近ではブックファーストが肩代わりしてくれていましたが)サブカル寄りの社会科学系の本と出会わせてくれたり、とか。たまさかに遊びに来てはワンポイントアドバイスをくれる、「ちょいと歳の離れたセンパイ」的な本屋さんでした。

まんま同じ、というわけにはいかないでしょうけけれど。この次に入ってくれるテナントさんも、同じ「本屋さん」というカタチであってほしいな、と、願ってやみません。

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