2005.11.04

Dialog in the Dark

@広尾D-HAUS(旧自治大学跡)
11/3(木) 17:10-18:20

Dialog in the Dark 2005」に参加してきました。経験原理主義ではありたくないのですが(想像力の否定になりそうなので)。なるべくなら自分自身で見聞きし、その上で感じ、考えを広げてゆきたい、を胸に抱く者として。説明を含めて約1時間弱の経験は、まさしく「あたらしいせかい」への導きでした。

全く光の無い中で、頼るものはアテンドスタッフ(=研修を受けた視覚障害者)と白杖のみ。事前に白杖の使い方及び会場内における注意事項を受けた上で、暗闇の世界へ入っていきます。1つの感覚がなくなると、別の感覚が研ぎ澄まされる、とはよく言いますが。ことわたしについては、普段さほど意識しない嗅覚と触覚がピン!と立ち上がりました。

1つの回に参加できるのは7人のみ。今回は家族(4人)+カップル(2人)+わたし、の構成でした。最初は見ず知らずの人間同士、しかもわたしだけ「どこにも対、あるいは所属する相手が無い」感覚に、少し疎外感を覚えそうになったのですが。はじまってしばらくすると、そんなせせこましい思いは闇へ溶け出し、やわらかく「つながる」感覚を覚えるようになりました。終了後はみんなにっこり笑いあって「ありがとうございました」と言葉を交し合ったのも、また嬉しいひとこまでした。

一時間弱という短い時間でそこまで至れたのは、「闇の中だから、自分の行動・方向等をなるべく声に出す」ことが大きいかと。声を出して「わたしはここにいる」と示すこと。自分が行くべき道を示してもらうこと。何か触れたら、それをなるべく具体的に声に出して感覚を分かち合うこと。普段の生活ではなかなか為しえないことですが、決して非日常で片付けたくは無いな、と感じております。

芝居やライブのように「一度に大多数が経験する」わけにはいかない催し物ですが。でも、出来ればひとりでも多くの人にこれは経験していただきたい。そう思える、素晴らしい時間と体験でした。

以下、ネタばれなので未見の方はなるべくご遠慮ください。(先入観なしに経験していただきたいので)

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2005.10.10

壷中天

優先順位としてはどうしても「今その場所でしか見られないもの」であるライブやお芝居、もしくは「常に身の側にあるもの」である活字が先立つのですが。どうにも気持ちがくしゃくしゃしてしまう時にがらり、とアタマを変えてもらうために、美術館・博物館へと足を運ぶ機会も少しずつ増えてきました。平日はまず無理ですが、金曜だけは閉館時間をゆったり目にとってくれているところもあるのがうれしいところ。それでも時間はぎりぎりですが、定時で飛び出してピンポイントでアンテナにひっかかるものをわしわし、っと見るようにしております。

先日久々に足を運んだのが、東京国立博物館で開催中の特別展「華麗なる伊万里、雅の京焼」。異国情緒のある焼き物、との印象があった伊万里ですが、その歴史を一度きちんと見てみたいとおもったのがひとつ。あと、建物それ自体が重要文化財である表慶館に入ったことがなかったのがひとつ。このふたつに背中を押されて、足を運んだ次第です。

全く詳しくはありませんが、伊万里といえば「白地に赤の線で文様を示した、非常に華やかかつ特徴的な焼き物」の印象がありましたが。初期の頃は、全く違う色味-青磁のそれを思わせるものだったり、また、大変濃い碧をあしらったものがあったりと、全く想像していなかった世界がそこにありました。

戯言であり、牽強付会もいいところだと苦笑しつつも。その「流れと今に至る様」に、わたしはモーニング娘。およびハロー!プロジェクトのそれ、を重ねて見ておりました。現在「伊万里」と呼ばれる器のイメージが固まったころをどの辺りに置くかはひとそれぞれでしょうが。そこに至るまでは決して「ひとつの色の流れ」だけではなく、さまざまな色彩がそこに確としてあったこと、に。改めて胸を打たれておりました。

タイトルは、京焼のコーナーで配されていた仁清の壷を見た瞬間に降り注いだ言葉です。「色絵月梅図茶壺」(先程の特別展紹介ページの下部に画像があります)の解説に、「一つの壷に梅と、満月の光が同時に配されている。満開の梅を見ると月の光が、満月の光を追うと月が追えなくなる。両方を一度に見たいなら…壷の中に入るしかない」との意の言葉が記されていました。壷の中に飛び込んで、別世界にしばしたゆたわせてもらう。…彼女たちのパフォーマンス(歌やダンスだけでなく、ガッタスの活動やその他もろもろの「全て」に対して)が、わたしにとっての「壷中」であり、そこから眺める「天」なんだなあ、と。そう感じております。

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2005.01.23

サタデーナイトフィーバー

言い得て妙だが頼むから私の後ろで囁くのだけは勘弁してくれと何遍内心で思ったことか(^^;。その理由は、後ほど。

今日は東京国立博物館で開催中の「唐招提寺展」を見に行ってきました。唐招提寺自体は実家に居た頃よく家族ドライブで行ってたもの、大まかな記憶は金堂+ご本尊のみ。もちっと間近で見られるなら、と思っていったら…囲みもなにもなく、「触れないでください」の表示はあるもの、それこそ人なら体温がほのかに分かるかもしれないほどの距離。「武闘」の7さんが四期メンバーを四天王に喩えていらっしゃいましたが、そのことも嬉しく思い出しつつ、滅多にない「背後からのお姿」やらなにやらをじっくり拝見してきました。

で、タイトルは四天王立像のうち増長天のポーズを見たひとが呟いてることば。こちらの、左下の写真が増長天です。四天王を何度もぐるぐる見てると(通常コースを一巡した後、好きなスポットを繰り返し見るのが私のクセです)、その度誰かが囁いてるんですよねえ…(^^;。出かける直前に「ハロモニ」を見ていたので、二重三重に笑い崩れそうになるのをこらえるのが大変でございました。また、7さんの論をお借りすると、広目天(上記写真右上)にもなるほどなあ、と。やさしいまなざしにただおひとり、武具ではなく筆と巻物を持つあたりも、とても「らしく」って(^^)。

同じ入場券で本館常設展も見られるとのことだったので、それならと(恥ずかしながら実は初めて)そちらへも足を伸ばしました。お腹いっぱいの展示でまんぞくまんぞく(^^)。この中で一番印象的だったのは、後陽成天皇の「龍虎」の筆。隆慶一郎氏の「花と火の帝」(つくづく未完が悔やまれます)での印象しかないのですが、いやもう「ものごっつぃ」((c)マンパワー)お父ん(おとん)やのー、ってのが正直な感想。墨痕淋漓とは良くいいますけど、なんといいましょうか…時代を超えて「ロックやねん!」と叫んでこられそうな、そんな迫力に満ちた書でした。

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