2007.01.01

ただの恋だから

あけましておめでとうございます。
随分更新頻度も減ってきておりますが。このサイトもなんとか4年目に入ることが出来ました。今年はもう少し気まぐれの度合いを減らしたい(こまめに更新するようにしたい)と思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

2004年、2005年と続けた「この一本」の2006年版振り返りを以て、今年の初更新とさせていただきます。

●2006年の思い出
「邂逅」です。固く言えばこのひとこと。もう少し崩せば、「新しい出逢いと、そして『呼ばれ』」といいましょうか。

特にエルダチームの面々が顕著でしたが。2006年は「新しい分野の仕事」にどんどん切り込んで行った、との印象が強いです。中でも、舞台関係の仕事は飛躍的に増えた+高い評価を得たものも多かった、と思います。

辛い物見になりますが。アイドルとしてのひとりではなく。それを越えた「役柄」を舞台に表すことが出来た時。その時まで、スタンディングオベーションは保留したいな、と思っています。が、彼女たちなら、近いうちにそんなこちらの思いをひっくり返してくれる。そう、信じてやみません。

私自身についても、新しく「呼ばれ」た、と感じるモノが強くあった一年でした。波の上下はもう毎年のお約束だなあ、と思いますが。最後の最後に笑うことが出来たら、それでよいかな、と。そう、今は思っております。

今回のタイトルは鈴木祥子さんの歌のタイトルをいただいています。
(「I was there, I'm here」所収)

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あなたの誠実さとか才能とかやさしさとか、
そんなのこの際どーでもよくて、
ただあいたくてたまらない

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あなた(たち)がそこに居てくれるのなら、ただそれだけでいい。

何やかやと理屈と言葉を並べ立てても。そこに彼女たちが居てくれること。ステージの上でライブアクトを見せてくれること。ただそれだけを求めている。その気持ちが芯であり、始まりであり、たどり着くことである。
そういう意味で、この歌を引かせていただきました。

●2006年の「この1本」
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パフォーマンス:「CUE DREAM JAM-BOREE 2006『再会』」(8/19@札幌コンベンションセンター大ホール)
コンサート:メロン記念日ライブハウスツアー2006「灼熱天国」(8/13@なんばHatch他)
DVD:安倍なつみ「NATSUMI ABE ACOUSTIC LIVE at Shibuya O-EAST
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◆パフォーマンス:大きく括ると「芝居」と言っていいのかも、ですが。歌ありドラマありの盛りだくさんのものなので、あえてこちらの言葉を。「水曜どうでしょう」をきっかけにTEAM-NACS、そしてOFFICE CUEの面々を好きになって約2年。映像に収められたかけらにずっと焦がれていた「ジャンボリー」へ立ち会えたことは、本当に大きな収穫でした。

◆コンサート:MEL-ON TARGETツアー及びFRUITY KILLER TUNEとも迷ったんですが。この4人に強烈に「呼ばれた!」と思ったツアーの、初日を選びました。これと同列なのが「MELON LOUNGE」の一連。これに出会わなかったら、わたしの2006年下半期はない、というくらい、大きな転機をもたらしてくれたライブアクトです。

紗幕に4人のシルエットが映し出され、それが落ちると同時に大音量で流れた「夏」のイントロ。あの熱さ、一生忘れません。

◆DVD:久しぶりに「行けなかったことを心底悔しいと思った」ライブ映像、でした。そこにあるのは必要最低限の「音を奏でる道具」。彼女自身と、パーカッションと、ギターと、ピアノ。ただ、それだけ。

すこしセピアがかかった照明の下歌う彼女は、「歌うこと」を心底愛している、
そして「歌うたいのかみさまから愛されている」存在。そのことを、改めて教えてもらった1枚でした。

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2006.08.06

代替可能か、否か

「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」@新宿コマ劇場
8/5(土)16:00-18:55(二幕・途中休憩25分あり) 

今までにも何度かハロプロ製作の【ミュージカル】は見ていますが、今回は宝塚の演出家及び生徒さん、マルシアさんを迎える本腰の入れよう。そのため、こちらも「ハロプロメンバーの活躍を見る」目線ではなく、「芝居好きとしての」目線で見て来ました。
それを踏まえて。正直、まだまだ内輪向きの(=ハロプロのファンだけを対象にした)もの、との思いが強いです。勿論今までのそれと比べて、内弁慶の度合いは格段に減りました。ただし、ハローの仲間が全くいない中で舞台に立った時、同じように客を-ハロプロとは普段全く関わらない客を-引き込めるか否か。そう問われたら、否、と返答します。コンサートで見せてくれる「彼女たちでなくてはならない」代替不可能性が、芝居ではまだ見えてきませんでした。

与えられた役柄を「こなす」だけじゃなく、数刻の「虚構の世界」に、有無を言わさず引きずり込んでほしい。舞台に立つだけで、ただそこに居るだけで、劇場中を圧倒してほしい。ライブアクトをこなすこと。役柄を演じること。違うように見えるけれども、「別の世界にしばし」引き込んでくれることは同じ。ただ、芝居だと「メンバーというキャラクター(役者さん自身、というキャラクター)」の上に「役柄」と「物語世界」が積まれる分、難易度も上がる。現時点では、まだその部分が上手くクリア出来ていないように感じられるのです。

と、随分辛めの感想を述べましたが。唯一「これは外で通用する」と思ったのが、魔女・ヘケートを演じた藤本さん。少ない台詞、抑えた動きながら、指先一本でヘケートの心を劇場中に満たす。その芯の強い歌声で、劇場を支配する。ハロプロ好きとしての贔屓を抜いても、「役者」藤本美貴、そしてその上に「魔女・ヘケート」がきちんと存在していたのは、流石の一言です。

また、他のメンバーについても、今回すぐには結果は出なくとも。彼女たちの本拠地に戻った時には、必ず上向きの答えを出してくれる、と確信しています。実際、夏のハロコンではずいぶんと声の出方、オーラの立ち上り方も違いましたからね。

まだまだ、幕は開いたばかり。
芝居は時間を重ねればいくらでも化けることがあります。初日と楽日で別物だったなんて、ざらにあること。時間を重ねて、この時点の思いを、どうぞひっくり返してくださいな、と切に願うばかりです。

最後に、一つだけ観客席に(ややネタバレ気味の)苦言を。
最後のショー部分まで含めて「芝居」として楽しむ姿勢、ってのもありなんじゃない?
立ち上がってサイリウム振ってかけ声かけること「だけが」、客席の思いを伝える術なんかじゃない。笑顔と拍手。その二つだけでも、十分伝わるものはあるはず。
(くどいようですが、以前書いたエントリもご覧いただければ幸いです)

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2006.07.03

吉澤ひとみ・石川梨華インタビュー@「せりふの時代」

季刊の戯曲雑誌「せりふの時代」(2006年夏号)に、吉澤さん・石川さんのインタビュー(「リボンの騎士」の関係)が掲載されています。(p114-121)

「本格的な舞台に立ち向かう者としての、現在の心境、そしてこのミュージカルが二人に(そして他のメンバーに)もたらすもの」を引き出してくださったこと、そしてそれを取り上げたのがこの雑誌であることに、「ベースは芝居好き」である身としてはとても嬉しく思っています。

決して大きいパイではありませんが。演劇雑誌もここ数年でいくつか入れ替わりがあって。その中でも大きを占めるのは、グラビアをメインとして、「姿形の美しさ」や「舞台の絵としての美しさ」を伝えるものです。これからの舞台への楽しみだったり、上演された舞台の思い出を反芻するよすがとして楽しめるもの、でもありますが。厳しい言い方をすれば、それはやはり「(主に)見た目の華」に焦点が当てられがち、なのですよね。

また、これはわたしの偏見及び狭い心に基づいた一意見に過ぎませんが。
普段舞台の場数を踏んでいないひとが、ただ「別のジャンルで名が売れているから、コンサートの延長で」ぽい、と演劇に加わってこられる、ということに対して。正直、あまり良い感想を抱けることは多くありません。声の通りひとつだったり、立ち居振る舞いひとつだったり。どうしても、普段見ている「舞台役者のひと」のレベルにどこまで敵うのかい?と、辛い基準値で見てしまうのですよね。

ただ、今回は大きく「外の風が」入ってくること。高い要求基準に対して、彼女たちも(良い意味の)負けず嫌いで応じようとしていること。そして、「新しい表現方法」について、真摯に取り組んでいる姿勢について。これらについて、取り上げていただいていることを、とても嬉しく思っています。

わたしの「芝居好き」の部分は、正直「アイドルの片手間なんて」と囁く部分もあります。でも。今回ばかりは、その部分をたたきのめしてくれるような素敵な時間を期待させてもらえそうです。

夏の暑い時期。新宿に、「彼女たちが好き」というひとたちだけではなく。「芝居として、どうやら面白そう」というひとも集まってくれることを、祈ってやみません。

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2005.12.10

彼の方(かれのほう)、と書いて彼方(かなた)と読むのよ

野田地図第十一回公演「贋作・罪と罰」
@シアターコクーン 12/9(金) 19:05-21:00

初演とはがらりとキャストを変えての再演、初日が開けて間もない頃の公演を見てきました。この日でこれだけの完成度なら、大楽の大阪はさぞや凄まじい切れ味を見せるんだろうなあ、と思わせてくださる出来です。

演出はここ数年の野田さん「らしさ」がより極まっていっています。極力大がかりな道具は排除し、身近なものや役者のカラダでそこに世界を組み立ててゆく。今回は本来舞台側であるところにも座席を設置し、出来うる限りの(劇場の構造上、完全に、とはいかないのですが)四方囲みに変更。一段高い舞台の世界に立つ役者を、ひとつ下がったところで出番でない役者が支え、それを観客はもう一段高い視点で見つめ続ける。通常の舞台-額縁舞台と呼ばれるモノが、客席側から舞台を一方通行で見つめる平面とすれば、今回のそれは箱庭を眺める神の視点。

理想の遂行のためにはどのような非常手段も(時によっては)許される、とする英(松たか子)。ある一定のルールの下に現実は動くべきであるし、そのルールを遵守する象徴としての都(段田安則)。その二者の-あまり適切ではないですが-落としどころをなんとか探ろうとする、そして理想に「のみ」突き進もうとする英を軟着陸させる場であろうとする才谷(古田新太)。この三者の内、二者が舞台に居る時に必ず一者は舞台下で静かに視線を保っている。その在り方をひとごとのように眺めている、と気づいた(気づかされた)時に、「で、普段のお前さんはどうなんだい?」と問われたような気がして……どきりとしました。

初演の記憶が(見ているはずなのに)まだらになっているから、かもしれませんが。ラストシーンへの伏線の道具を、今回は最初から使ってますかね?そして、ラストシーンの「景色」。初演はそれらしく道具を使って見せていたのを、今回は役者の佇まいと、えっと思うモノを使って表してましたね。あれには唸らされました。

また、英と才谷の関係性は、初演のそれよりもっとすっきり見えた気がします。初演の2人が「天に翔けてゆく英と、地に根を下ろす才谷」の関係性だとすれば、今回は「共に天に翔てゆける才は持つけれども、才谷という錨があるから-や、止まり木、かな-振り返ることが出来た」との印象を持ちました。突出する理想に殉じる英と、結局それを止めきれずに命を落とすことになった才谷、が初演だとすれば、突出する理想に殉じようと翔ける英手を握り、地に落ち着けさせた(意とは別に命を落とすことになったけれども)才谷、が再演の二人。そう、感じております。

理想に殉じることの持つ危うさ。
この関係性の差は、初演から10年が経った、ということ。そして、その10年に起こった諸々のことにあるのか、と。浅はかで穿った物見と承知の上で、思う部分が強いです。

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2005.11.04

Dialog in the Dark

@広尾D-HAUS(旧自治大学跡)
11/3(木) 17:10-18:20

Dialog in the Dark 2005」に参加してきました。経験原理主義ではありたくないのですが(想像力の否定になりそうなので)。なるべくなら自分自身で見聞きし、その上で感じ、考えを広げてゆきたい、を胸に抱く者として。説明を含めて約1時間弱の経験は、まさしく「あたらしいせかい」への導きでした。

全く光の無い中で、頼るものはアテンドスタッフ(=研修を受けた視覚障害者)と白杖のみ。事前に白杖の使い方及び会場内における注意事項を受けた上で、暗闇の世界へ入っていきます。1つの感覚がなくなると、別の感覚が研ぎ澄まされる、とはよく言いますが。ことわたしについては、普段さほど意識しない嗅覚と触覚がピン!と立ち上がりました。

1つの回に参加できるのは7人のみ。今回は家族(4人)+カップル(2人)+わたし、の構成でした。最初は見ず知らずの人間同士、しかもわたしだけ「どこにも対、あるいは所属する相手が無い」感覚に、少し疎外感を覚えそうになったのですが。はじまってしばらくすると、そんなせせこましい思いは闇へ溶け出し、やわらかく「つながる」感覚を覚えるようになりました。終了後はみんなにっこり笑いあって「ありがとうございました」と言葉を交し合ったのも、また嬉しいひとこまでした。

一時間弱という短い時間でそこまで至れたのは、「闇の中だから、自分の行動・方向等をなるべく声に出す」ことが大きいかと。声を出して「わたしはここにいる」と示すこと。自分が行くべき道を示してもらうこと。何か触れたら、それをなるべく具体的に声に出して感覚を分かち合うこと。普段の生活ではなかなか為しえないことですが、決して非日常で片付けたくは無いな、と感じております。

芝居やライブのように「一度に大多数が経験する」わけにはいかない催し物ですが。でも、出来ればひとりでも多くの人にこれは経験していただきたい。そう思える、素晴らしい時間と体験でした。

以下、ネタばれなので未見の方はなるべくご遠慮ください。(先入観なしに経験していただきたいので)

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2005.10.29

初心に還る-自転車キンクリートSTORE『ブラウニング・バージョン』

自転車キンクリートSTORE テレンス・ラディガン3作連続公演
『ブラウニング・バージョン』
10/28(金) 19:05-20:55@俳優座劇場

舞台はイギリスのパブリックスクール。明日で学校の寮(教職員宿舎)を去ることになった老古典教師アンドルウの、一夕のものがたり。教師としても、妻ミリーとの夫婦生活についても、自分が落伍者であることを認めていた彼は、最後の日に今までに無いほど心を激しく揺さぶられる出来事と対面する。

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わたしがこの劇団に求めるのは、よく練られた、面白うてやがて悲しき(でもオモシロイ)オリジナル現代モノ、なので。翻訳物と聞いた時はパスを決め込んでおりました。そこへ友人が「あれはいいよー」と勧めてくれたこと、e+で得チケを販売していたこともあって「それじゃ、まあ」と気軽な気持ちで見に行くことになりました。ら、これが私には大当たり!

いやはや。翻訳物だからって毛嫌いしてるといけませんな。
訳が演出家の鈴木裕美さんの手によるところ、も大きいのでしょうが。わたしが好きで、ずっと魅せられていた「じてキンの真髄」がそこにはしっかりと流れていました。

生命を維持するために必要なものが食事・睡眠・性的なもの、とすれば。「人間として」の心を維持するために必要なのが、「愛情および承認」欲求。ひとこと「愛情」といっても、そこに含まれる情は多種多様で。肉体的、金銭的といったエロスな愛情もあれば、それと真逆に位置するアガペー的な(自己犠牲的、精神的な)愛情もある。お互いの望むものと与えられるモノが食い違えば、それは「愛情を与え合っている」ように見えて「お互いがただ渇きあって水を欲しいと叫び、ののしりあう」ことになる。そのベクトルの食い違いに、ほの苦い(当事者にとっては苦いけど、「箱の外」から眺める観客にとっては笑いを誘う)悲喜劇が生まれるわけで。

劇場に居る間、ずっと私の中に重なっていたのは『ソープオペラ』の鮎川夫妻のやりとりでした。「変われず」にいる自分の焦り、パートナーの関心が以前のそれと質を変えてきたのでは、との(焦りから生まれる悪循環な感情でもあるのですが)気持ち。それらが全て凝縮された、

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『私は、今の自分の方が、ずっと好きなの---
だから、あなたも嫌わないで貰いたいのよ、だから---

だから、ほかの人を好きにならないで』
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の部分でした。

10年前に見た時(再演版でした)で撃ち抜かれた言葉と、その底にあるものとに。10年の時間を経て、再会したのですが。その10年で得たもの、失ったもの、変わったもの、変わらずにいるもの。
人間はどうしようもないくじたばたしてて、かみあわなくているけど、それでも「いとおしい存在」なんだ、と。ラディガンも、鈴木裕美さんも、その目線が共通しているのでしょうね。

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2005.10.14

爛熟のことのはにしばし酔ふ-泉鏡花の「日本橋」

花組芝居2005年10月本公演
~鏡花まつり~「泉鏡花の日本橋」
世田谷シアタートラム 10/12(水)19:05-20:45

花組芝居が7年ぶりに「泉鏡花の日本橋」を再演するというので、ちょっと各所に無理難題を申しあげて足を運んでまいりました。好きではあるもの、なかなか機会が合わずにちょいと縁遠くなっていた花組芝居の舞台。最後に見たのが「天守物語」再演だったかどうだか、なので、感想を連ねるにも的はずれもよいところは、どうぞご容赦下さいませ。

原作を読んでいない・新派でのそれは見ていない・なおかつ7年前の記憶は既に薄らいでいると情けないことこの上ございませんが。鏡花の絢爛豪奢な物語世界と、加納幸和氏が舞台にひととき形づくらんとする世界の融合は、より強く・明確になった、と感じました。7年前のそれが、鏡花の豪奢なことのはの世界を立体にする試みだったとすれば。今回のそれは「鏡花のことばを道具立てにして、加納氏の美意識を劇場の隅々までに満たすものでした。

特に初演との違いを覚えたのが、葛木・お孝・清葉(・赤熊)の関係性について。初演では「お孝の悲劇」を頂点に、それの対として葛木を配し、その対を眺める(そして語り部となる)位置に清葉を置いた、と感じていました。それが今回の再演では4つがほぼ等位置に配され、1つの縁がまた1つの縁に絡み……という絡みの妙を楽しませていただいた、との感に変わりました。お孝を演じる加納さん以外はほぼキャストが異なるので、印象が変わるのは当然ですが。お孝と清葉の(お孝側からの方が強いのですが)意地の張り合いがより強くなったのも、驚きのひとつです。前回だと突っ張るお孝に見守る清葉、の図を見ていたのですが、今回はそれぞれの(芸者としての)意地がきちんと伝わっており、それも含めて全景が最後にきれいに収束するんだなあ、との印象を受けました。

久々の花組を見て「最近歌舞伎を見てないなあ」と、不勉強ぶりを指された部分もあります。や、勿論知らないでも十分楽しめる拵えではあるのですが。知っていればより深く楽しめるんだよ、と。そのいとぐちをはらり、はらりと播いてくださってるんですよね。ひとつことだけにのめるのもまたありなのですが。十を知るからこそ、それぞれの一が楽しめる。そのことを、改めて痛感してもおります。

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2005.08.30

わたしをかたちづくるもの-芝居バトン

みられてもいいせいかつ」のずるずるさんより芝居バトンを廻していただいたのに、ずっと塩漬けにしておりました。夏場でアシが早いのですが、保存食になっていることを期待して(^^;今更ながら挙げさせていただきます。

1:今まで行った芝居の本数。もしくは去年行った芝居の本数。

コンスタントに劇場へ足を運ぶようになって12,3年ほど。Maxは130本前後/年です。昨今は別ジャンルの(つーか、このblogのメインとなっている)ハマりものが増えたので、観劇本数自体はかなり下がっております。でも、なんだかだで延べ本数(同じものを複数回見たりもしますので)は50本前後になっているかも。個人的には随分減ったよなあと感じていますが、それでも世間様一般よりは見ているんだろうなあ、とぢっと手を見ております……。

2:.次に見に行く芝居。

劇団☆新感線の「吉原御免状」初日。原作も好きですし、客演陣含めご贔屓メンバー総出演なので、久々にわくわくしております。隆氏の世界観と新感線(いのうえさんと中島さん)の世界観って親和性が高いと思いますし。

3:.一番最近見た芝居。

劇団M.O.Pの「水平線ホテル」。感想を書いておりませんが、今年のベスト3に入れてもいいかな、という出来。贔屓の役者が存分に練られたシチュエーションでその力を発揮するのを堪能。ハーフプライスチケット(当日半額券)を買って、他の買い物して休憩しようとした時に地震があったのも、忘れられない一幕。あのあとの交通機関の麻痺を考えると、芝居のかみさまが味方してくれた、と(不遜な謂いではありますが)の思いもあります。

4:よく行く、または特別な思い入れのある5つ。
「特別な思い入れ」に力点を置いて5つ挙げてみました。

劇団☆新感線
初めてナマで見たのは「秋味」の初演@アプル。でも、話だけはいろいろと聴いていて(「阿修羅城の瞳」初演@オレンジルームとか)、ずっと見たいと思っていた劇団でした。笑いも涙も真剣味も全部詰め込まれたわくわく箱。物語の立ち上げ方、世界の作り方、そして役者のオーラ。それら全てに心捕まえられて、チケット代が高いだの初日と楽日で芝居が違う(全く別物になること多し。それも含めて、彼らの魅力なんですけどね)とぶちくさ言いつつ、チケット取りに奔走する日々を重ねて…もう10年近く経っております。「阿修羅城の瞳」@新橋演舞場の初演版(芝居自体は2演目)と、あと「野獣郎見参!」の初演@アプルは、生涯モノのベストに入る経験でした。「阿修羅~」なんて金欠に泣きながら通ったもんなあ……。

◆Zazous Theater(あるいは鈴木勝秀氏が作・演出で関わる舞台)
初めて見たのは、今は無きパルコスペースパート3での「Sweet Home」。いろいろトラブルがあって、結局スズカツさんが作・演出も担当することになったんでしたっけね。いろんな音や物語を彼の流儀で混ぜ込んで、新しい世界をぽん、と提示する。存分に芝居の世界へたゆたわせてもらった後、カーテンコールで役者さんが深々とお辞儀していつもの曲が流れる(あれは誰の曲でしょうかねえ……)時に、ぱちっ、とスイッチを現実へ戻してもらう。その入れ替わりが好きで、難解だなあ、と思うものがありつつも(「ウェアハウス」シリーズなんぞ特に)通うのが止められずにいます。
一番嬉しかったのは、女形がブランチを演ずることはまかりならん、と上演予定が潰えた(「銀流草」として上演はされましたが)「欲望という名の電車」を、上演にこぎつけてくださったこと。あれで初めて「欲望~」を見ることが出来たのは、非常に良い経験でした。女形だからこそ/女形にしか、出来ない表現を見せていただけたので。(その後大竹しのぶさんの「欲望~」を見て、よりその思いは強まりました)

ク・ナウカ「熱帯樹」@旧細川公爵邸(現・和敬塾)
物語の力・役者の力・世界を作る演出家の力に加えて。「場所の力」が、芝居には大きく関わってくることを教えてくださった一作でした。演じられている舞台と客席との境目が限りなく薄く、滅び朽ちてゆく寸前の美しさを、触れることは叶わないまでも、同じ空気の中で味わうことが出来る。都内とは思えない、緑に囲まれた旧式の洋館の一室でのひとときは、思い出すだに甘い酔いをもたらしてくれます。

野田地図
野田秀樹、と書けないのは「夢の遊眠社」には間に合えなかったから。
「贋作・桜の森の満開の下」は本当に見に行きたくてじたばたしてたのを(当時はお金もチケット取りのハウツーも知らなかったので)今でも忘れられません。その後ビデオになったものを、何度も何度も見てはため息ついてたり。

野田地図になってから-英国留学から帰ってきてから、言葉より「役者の肉体」での表現に軸足が移ったとの感もありますが(特に「Right Eye」などは顕著だったような)。それでも、あふれんばかりの言葉で構成し、立ち上げる世界に、いつもいつも魅せられております。年末から年明けにかけては「贋作・罪と罰」の再演。初演から10年経った、というのに改めて年月の流れの速さを実感しております……。

◆後藤ひろひと氏
遊気舎、Piper、その他の作・演出、そして役者さんとして。見られる限り追いかけてゆきたい方のひとりです。他の方の演出だと「あったかいウェルメイド」と見られがちな作品ですが、なかなかどうして。気づく人にはしっかり効く毒を仕込んで、うしろでにやあっと笑っていらっしゃる部分もあります。でも、それは決して意地悪ではなく、痛みも弱さも分かったうえで「こっそり潜ませた」毒、なんでしょうね。だから、からっと笑うことも出来るし、ひそかに涙することもあるし。

褒め言葉としての「わけわからん歌や造形物」を作らせたら天下一品。関係の無いところでその手の歌がぐるぐる回りだして止まらないこともままあります。群馬水産高等学校の歌(「ダブリンの鐘つきカビ人間」だっけかな)とか、イヌガマ(「天才脚本家」で出てきた造形物)とか。未見の方には申し訳ないのですが、思い出すだけでくすくす笑いが止まりません。

5:バトンを渡す何人か。
あまりにも長い時間塩漬けにしておりましたので、ここで置かせていただきます。ご希望の方は、ご自由にお持ちいただければ幸いです。

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2005.08.10

(It's just a)Smile!

わたし自身はその姿を見ることが出来ませんでしたが、安倍さんが先日再び「チェインギャング」を歌ってくれたくれたそうです。「Factory」で歌った時と、その歌詞の意味の含むところは大きく違ってくるでしょう。でも、彼女はそれを歌ってくれた。そして、(これはわたしの勝手な想像にすぎませんが)それでもなお、彼女は「笑顔」で居ることを-わたしたちに「笑顔」を向けてくれることを、選んでくれた。

そのことに、心からの敬意と、感謝とを示したく思います。

ハロプロメンバーの全てに、それぞれの形で当てはまるものでもあるのですが。誕生日の前々日に(あえて)彼女があの歌を選んでくださったことに、真っ先に思い浮かんだのがこの戯曲のこの言葉でした:

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朝日のような夕日をつれて
僕は立ち続ける
つなぎあうこともなく
流れあうこともなく
きらめく恒星のように
立ち続けることは苦しいから
立ち続けることは楽しいから
朝日のような夕日をつれて
ぼくは ひとり
ひとりでは耐えられないから
ひとりでは何もできないから
ひとりであることを認めあうことは
たくさんの人と手をつなぐことだから
たくさんの人と手をつなぐことは
とても悲しいことだから
朝日のような夕日をつれて
冬空の流星のように
ぼくは ひとり

---------------------------------------------
鴻上尚史『朝日のような夕日をつれて

こういう言い方はちょっと失礼かもしれませんけど。22歳から24歳までの彼女は、10年早く「厄」を先取りしていたのかな、と思うことがあります。それだけの荒波と、激動に揉まれた2年間。

もちろん、10代からの積み重ねの時間だって十分に激しくうねりを持ったものだったでしょうけど。特にこの1年は、いろんな意味でしんどいことが多かったんでは、と。きちんと見せて頂くようになったのがちょうどこの2年だもので、余計にそう感じています。

ひとり、立ち続けることを引き受けて。その上で、笑顔であることを選んだ。…これは、妄想が過ぎるでしょうかね。

安倍なつみさん、24歳のお誕生日、おめでとうございます。
新しい一年が、貴女にとって、より素晴らしいものであるものを祈ってやみません。

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2005.06.30

熱い紅茶とマドレーヌと-Theatrical Music Baton

Musical Baton,Reading Batonと2本のバトンをいただいきました。そのほかにもコミックだったりプロレスだったりといろんなバトンが回っているようですが、このたびひそやかに「芝居で使われていた音楽」についてのバトンをこしらえてみました。

質問内容は以下の1つ。
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■あなたにとって忘れられない、劇場で流れていた音楽を5つ。思い出や浮かぶ光景などと一緒に挙げてください。
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劇場内で流れたものであればあれば劇中/客入れ・客出し時は問いません。原則は「自分が実際に見た芝居」とさせていただきますが、思い入れが強いものであれば、映像化されたもの(TV等で放映されたもの・ビデオ/DVD化されたもの)でも可とします。

また、このバトンは「次に回す人」を指名しません。ひょい、と軒先につるしておきますので、お好きな方・気づかれた方は、この記事にトラックバックしていただくか、リンクを貼っていただくかたちでのんびりつながっていければ、と思っています。

では、わたしの選ぶ5曲を以下に。順位はありません。

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